家庭医の学習帳

千葉県のクリニックで子どもからご高齢の方を日々診療。心療内科・家族支援にも力を入れています。日々考えたことや勉強したことを綴ります。

健康な家族の考察 〜家族システム論的視点より〜

とある「医療と家族」というテーマのシンポジウムに招聘いただいた。様々な分野の先生も来られていたので、せっかくなので「健康な家族の考察」という少し哲学的なテーマを臨床現場の家族支援の経験や家族システム論の観点から考えお話した。

本記事は講演で話した内容をまとめたものである。家族という普遍的なテーマを考えるきっかけになれれば幸いである。

 

 

家族の多様化は「家族形態」に対する批判

家族について、現代社会では「多様化」ということがよく言われる。

単独世帯・ひとり親家庭・離婚・再婚家庭(ステップファミリー)・事実婚同性婚・拡張家族・非血縁親子(養子・生殖医療)・国際結婚家庭と様々な家族のあり方を許容することが、現代社会の大きな潮流である。

これはすなわち「誰と」いるかを重視する「家族形態」に対する批判である。すなわち、家族の多様化は近代において重視されていた核家族を代表とした画一的な家族形態を重要視することに対する批判ともいえる。

それ以上に現代で大事とされるのが、誰と「どんな関係」でいるかという、関係の質であり、「家族機能」である。それでは一体どのような家族機能(関係)が健康な家族なのか。家族システム論の観点から考えたい。

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家族システム論とは個人と家族の相互作用に焦点を当てる

システム論は、個々の「相互作用・関係性」に着目した理論であり、1960年代頃より臨床現場にも応用され、代表的な理論として「生物心理社会的モデル(Bio-Psycho-Social Model)」があり、これは心理・社会・生物の相互作用に着目した理論である。

家族システム論はすなわち「個人と家族の相互作用(関係性)を治療に最大限活かす方法」であり、「家族療法」という。プライマリ・ケアへの紹介は、1980-90年代に米国で家族に関心を持つ家庭医と家族療法家のコラボレーションにより発展し、「家族志向型ケア」として様々な書物が出版された。日本でも総合診療専門医・家庭医療専門医がコアコンピテンシーとして取り入れられている。

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健康な家族機能評価 ーオルソンの家族円環モデルー

家族システム論には様々な理論があるが、家族機能の健康度を表したモデルに「オルソンの家族円環モデル」というのがある。家族の機能を「凝集性:家族メンバー相互の情緒的結びつき」と「適応性:家族が状況で役割やルールを変化させる柔軟性」の2つ次元で評価し、それぞれ4つに分けている。

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その中で、適度で柔軟な凝集性や適応性をもつ家族を「バランス群」としている。すなわち、「程よい絆・柔軟なかじとり」ができる家族がより健康的な関係と呼んでいる。例えば、通常時は家族メンバーが個々に自由に生活していても、問題があると助け合うことができる家族や、一緒に行動することが多くても、各々の考えや感情を尊重することができる家族はバランスがとれ、より健康度が高いということができる。

一方で、極端な硬直関係やべったりとした依存関係があったり、逆に極端にバラバラな関係やルールや役割がない無秩序状態を「極群」と呼び、どちらかが極端な場合を「中間群」と呼んでいる。例えば、家族内に問題があってもメンバーが関心を持たない家族や、常に家族内の他のメンバーの行動だけでなく、考えや感情にまでコントロールしようとする家族は極端であり、より健康度が低いということができる。

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家族関係は個々の対人関係にどのように影響するのか

家族療法家のボーエンは個人の成熟度を「分化度」という概念で提唱し、分化度は家族内の関係性を強く影響するということを述べた。人間の心理システムは「知性システム」と「感情システム」に分かれる。

生きる上で両者のシステムが必要であり、大切なのは、両者の調和が保つことができ、状況に応じて両者を使い分けることである。この調和を保ている心理状態のことを「分化」といい、ボーエンは、分化度が高いことが人間が機能する上で重要としている。

しかし、両システムの分化の度合いが低い場合、使い分けが難しく、感情によって行動や思考が支配されやすくなってしまう。分化していない状態を「融合状態」といい、対人関係に様々な悪影響を与えるとされる。

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家族の関係性が個人の分化度に影響を与える代表的な関係として三角関係というのがある。例えば、夫婦関係がうまくいかない場合、子どもができ、妻が母親として子どもにつきっきりで、子も母親べったりの場合、夫婦の緊張関係は和らぐ。

しかし、その子が思春期になって自主性を持とうとすると問題が出てくる。子が個別性を主張することは、融合したい母親の欲求と相反するため、母から真摯な支持を得られにくい。また、父にとっても母との緊張した融合関係を再度発見しなければならないという危険性が出る。

そのため、子どもの自主性は親からは反抗という名目の下、圧殺される可能性がある。その結果、子どもは自主性を持ちにくくなり、分化度は低くなりやすい。

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分化度は、核家族に限らず、拡大家族や多世代に渡る。融合関係にある夫婦が子どもを三角関係に引き込めば、子の基本的分化度が低くなる可能性が大きい。むしろ、両親と最も深い融合関係の三角関係を構築する子は、両親よりも低い基本的分化度を示すことが多い。

 

その子が症状を顕そうが、顕さまいが、その子の分化度(第二世代)は、孫の分化度(第三世代)に影響する。そして、第四世代、第五世代・・・と続く。したがって、各世代で基本的分化度の低い子の系譜を辿れば、子孫は徐々に分化度が低くなると考えられる。

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また、分化度は職場はじめ、社会生活における対人関係にも影響を与える。分化度が低いと、自身の考えや意見以上に、他者や外界の影響を容易に受けてしまうため、他者の影響を強く受けやすくなる。他者を求めるため依存的となる一方、他者からの拒絶を避けるため、一見独立的で権威的な態度を取るというジレンマに陥りやすい。

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さいごに 多様な家族形態は果たして「主体的な選択」なのか

問題の有無が家族の健康度を示すのではなく、問題に対する反応が家族が健康度を示す。さらに、家族の反応や関係性は、世代を超えて家族に引き継がれ、家族内のみならず社会での人間関係に影響することを述べた。

冒頭で、現代社会では家族の多様化は適合的であると述べたが、そこには落とし穴もある。家族の多様化の大前提に、個人の主体的で自由な選択の結果に対し、尊重をしようという考えがある。しかし、そもそも家族の選択に主体性の保証はあるのだろうか。

例えば、増加する未婚者は、その全てが結婚しないという主体的な選択の結果だと証明できるだろうか。結婚したくても様々な理由によって結婚できない人や、回避的に選択せざるを得なかった人も含まれているのではないか。

「望んでそうなった」と「そうならざるを得なかった」は大きく異なる。家族において、自由で主体的な選択ができず、悩み・苦み「そうならざるを得ずに」困難に陥っている人たちも大勢おり、それを「許容だけする」のに私は違和感を感じる。

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現代社会で関係が良く健康的といえる家族はどれほどだろうか。残念ながら、様々な研究やメディアでの様々な報道をみると、安定した関係とは言い難い家族の方が多いのが現状ではないだろうか。

不安定な家庭環境は、不安定な対人関係を築き、それはすなわち不安定な社会を構築し、それはすなわち、家族に対して懐疑的や回避的に考えやすくなるのではないか。

しかし、安定した家族関係が増え、安定した対人関係を築く人が増えると、社会はまた変化する。そこでは、人は本来の自由な主体性を持って積極的に家族を選択することができる。そうなった時、それは現代の多様な家族像とはまた異なると考える。

育った家庭環境は、価値観、特に人間観や家庭観に直結し、大切な未来を決める。関係が良くてサポーティブな家族がいたら、それに勝る資源はない。家族を支えることは診察室から届く地域活動であり、持続的な幸福の礎を創る支援だと考えている。

今後も家族支援とその啓発活動に力を入れていきたい。