家庭医の学習帳

千葉で家庭医として子どもからご高齢の方までの診療に携わっています。日々考えたことや勉強したことを綴ります。

ジョイニングからオープン・ダイアローグまでを再認識する旅 〜日本家族療法学会第39回淡路島大会への参加日記〜

9月16-18日開催の日本家族療法学会第39回淡路島大会に参加しました。

久しぶりの現地開催。対面ならではの臨場感あふれるワークショップや様々な方との交流ができた充実した期間でした。

今回は私と同じ家庭医の背景を持つ医師が6名参加し、何名か登壇して発表していました。数年前は1人で細々と参加していたことを思うととても感慨深いです。

5年ほど前くらいから家族療法学会には所属しながら勉強を重ねており、そこで扱われる言語はある程度理解できていたつもりでしたが、まだまだ浅い理解で深い理解に至っていなかったことを痛感しました。

参加した主なシンポジウム・ワークショップは以下の通りです。

・各国でどのような家族療法のトレーニングを行なっているのか?
・私にとっての家族療法とは?
・一般診療における家族支援
・様々な臨床現場におけるダイアローグ実践
・家族面接が上手くなる〜初回面接を中心に〜

ジョイニングからオープンダイアローグまで雑多ではありますが、いくつか気が付いた点などをまとめてみました。

 

■ジョイニングに対する誤解と再認識

ジョイニングの本質は本人や家族と日常の会話から始めたり、相手へ共感や賞賛をしながら良い雰囲気を作ることだと思っていましたが、違った。トラッキングは家族のコミュニケーションパターンを受容しついていくことであり、誰の次には誰が話すことを受け入れるだけでなく、誰が話すと誰が遮ることまで含めて受容しついていくことがトラッキング。さらにそこに積極的に合わせる(ex. 口火を切ろうとする家族に話しを前もってふる)ことがアコモデーション

 

■コミュニケーション・パターン分析の誤解と再認識

コミュニケーションのパターン分析において、会話の内容に対する評価(攻撃している、支持している)をしていくと思っていたが、評価は逆にパターン分析においては本質を見失いがち。誰の次に誰が話し、そうすると誰かが遮るといったような反応パターンを見ていくことがコミュニケーション・パターン分析であり、それを誤解していた。

 

■支援者の対話は演技的な方が話しやすい

カウンセリングの際にわざとらしいほど共感したり、驚いてみせたりする。支援者の中にはそこまでできない、そもそも必要なのと言われる方も。でも、そもそも相談に来るということはそれほど困っていたり、そのことについて話せない(話し慣れていない)ので、こちらが演技的なほど話しやすい。オープンダイアローグでも演技性は重視している。

 

■完璧すぎるコミュニケーションからは対話は生まれづらい

完璧すぎるコミュニケーションは隙のなさから相手に萎縮と警戒心を与えてしまいがち。不完全かつ程よく抜けていた方が安心感と補おうという主体性を得るきっかけとなり、それが対話である。それは診療だけじゃなくて職場でこそ大事な考え方かもしれない。

 

■診療場面という場こそ対話がもたらす効果は大きい

診察場面である種の正義感から医療者は患者にアドバイスのみをしがちだが、それが患者の反感を買い逆効果となることは多々ある。そもそも診察の場には医療者と患者の間で力の勾配があり、患者は居心地の悪さを感じている。診察でこそ対話は意外性をもたらし、大きな安心感とそれ以上の効果をもたらす。オープンダイアローグでは「結果をもたらすはずの場」という縛りの中で対話をするからこそ、結果的に対話に治療的効果が付随される。

 

■スーパービジョンについて

家族療法学会で各国間の研修プログラムの比較について聞いたが、どのプログラムも共通するのは知識を学んだ後はライブスーパービジョンを受けること。スーバービジョンも事後ではなくインターセッション、セッション中の随時介入、リフレクティブ・チームなど。日本のプライマリ・ケアの現場でもライブでスーパービジョンを受けることが必要か。

 

■家族療法の本質の変遷

家族も含めて人の関係性を見てそれを変えていくのが家族療法の本質で、まずは家族に入り込んで家族の関係を変えていくことが家族療法。過去においては家族の関係を変えることを目的としていたが、今は自身とクライエントや家族の関係が変わることで他が変わる、さらには支援者自身の捉え方やコミュニケーションを変えることで関係を変えようとするのが現代の家族療法。

 

改めて家庭医療学と家族療法は同じシステム理論を基本理論の一つとするため共通点は多く、家族療法の日本のプライマリ・ケア領域への「翻訳」を頑張っていきたいと思いました。今週からまた頑張ります。