家庭医の学習帳

千葉で家庭医として子どもからご高齢の方までの診療に携わっています。日々考えたことや勉強したことを綴ります。

母校で性感染症について講演

毎年、母校渋幕の高校1年生の全校生徒対象に、保健の授業の中でも学校の先生が教えにくいものを卒業医師たちで行なっています。その名も「特別」保健授業。

今年は性感染症・がん・ストレスコーピングについて河南先生と小橋先生と一緒に講演を行い、私は性感染症を担当しました。

様々な性感染症の実際をトピックを交えながらお話しました。。2021年・2022年で急増する梅毒について、2022年に積極的接種再開となったHPVワクチンについて9価ワクチンやキャッチアップ接種の話など。

また、性感染症の予防ついてコミュニケーションとしての性的同意(セクシャル・コンセント)の話を交えましたが、性感染症を機に自身の性や将来を考えるきっかけになってくれれば嬉しいです。

性感染症の一次予防・二次予防とあれもこれもと盛みすぎ、学生相手の話も久しぶり、対面での授業も久しぶりでどこまで伝わったかなと心配しましたが、授業後にたくさんの質問をいただいたり、アンケートでは好反応のようで安心しました。

母校での授業は毎回エネルギーをもらいますし、初心に帰らされます。また、いつも卒業医師の大先輩に混ぜていただき光栄ですし、準備のための打ち合わせのディスカッションが大変勉強になりました。貴重な機会をくださる学校の先生方や河南先生に感謝です。

 

我が子の幼稚園入園にあたり夫婦で考えたこと

f:id:kamenokodr:20221113175440j:image


長女が来年から幼稚園入園の歳になったので、色々な幼稚園の見学や説明会に行って(主に妻がですが)夫婦でどこがいいか最近話します。選択肢がいくつかあるのは嬉しいことなのですが、逆に幼稚園ごとに特色がありすぎて悩みます。結局幼児期に何が大事にするかだよねという話になり、最近よく子育てについて夫婦でよく話します。

幼児教育に何が大切にするか、私たち夫婦で話し合って至った結論はいたってシンプルなことでした。好奇心を育むためにたくさんの外遊びや体験をすること、自律性を育むために子どもがやりたいことを邪魔せず、可能な限り尊重することでした。幼稚園もそこを大事にしてくれるところにしたいと思います。

シンプルなことですが、改めて我が身を振り返るとこれがなかなか難しい。子どもの遊びを一番にと思っても、仕事やその他の都合や事情を優先させてしまいたくなります。改めて頑張ろうと思いました。

それと妻に言われてはっとしたのが、まだまだ我が子は幼稚園に行くということがどうゆうことか分からず、自分で選ぶことが難しいのですが、本人がもし選択する力があるのだったらどこがいいと言うか?その幼稚園で笑顔でのびのび過ごすことができそうか?イメージして幼稚園を考えたいとのことでした。

医療における意思決定支援は本人が意思決定する力がまだないのであれば、家族が「あくまで本人の意思を推定して」代わりに物事を決めるように促します。子育てでもその考え方は大切で、親がどうしたいというのも大切ですが、本人だったらどう思うのか?どうしたいか?ということもしっかり考えることも改めて大事だと思いました。

ジャーナリストとHPVワクチンについて語る

f:id:kamenokodr:20221024214822j:image

とあるジャーナリストの方とHPVワクチンについて話をする機会がありました。医療者からみるとワクチンに対しての有効性や安全性もあるのに、何故報道機関があそこまで加熱したのか、そこにはどのようなすれ違いがあったのか、当時のことが気になり色々と伺いました。

 

やりとりしながら感じたのは、医療者が抱く感染症やワクチンと非医療者が抱くのイメージは大きく異なることでした。同じ用語で話していても全く異なるイメージを持ちながらやりとりしていたので、そこから大きなすれ違いが生まれていたのだろうと思いました。特に「劇薬」や「アジュバンド」など。今でこそ、新型コロナウイルスによって感染症やワクチンの理解は大きく進みましたが、当時はもっと共有することが難しかったのだろうと思います。

 

また、ジャーナリズムの根底の精神というのか困っている個人の声を届けたいという使命感を強く感じました。症状はワクチンと関連ない有害事象といっても実際にワクチンを打った後に苦しみ困ってる人がいるのも事実です。果たして、当時そのような方に医療者として寄り添うことができていたのでしょうか。そこには、検査で原因がよくわからないものに対する医療者の扱い方の不慣れさや「機能性身体症状」に対する誤解もあったのでしょう。

 

誰かが言っていたけれど、新しいものを取り入れたり、何かを変えるときに最も大事なのは「丁寧なコミュニケーション」。それを組織や医療者全体として行うことはより難しいことですが、医療者として、患者さんと医療者の理解の差を極力埋めるような相手の立場に立ったわかりやすい説明と、医学的によくわからないものに出会った時にはきちんと耳を傾けてる謙虚さが改めて大事だと感じました。

 

WHOはワクチン政策における3つの壁を「3C」と表現しています。「Complacency(無頓着さ):脅威と思っていない」「Convenience(利便性)接種までのハードル」「Confidence(信頼)有効性や安全性に対する信頼」特に信頼はとても大切で、ワクチンだけでなく提供する医療・医療者、政策を進める立案者・政府への信頼も含まれます。ワクチンに対する不安はどこから来るのか?何に不信感を抱いているのか?もっと敏感になろうと思いました。

 

※秋の深まりを感じる今日この頃。近所の公園への散歩が一番心地よく感じられます。

東京北医療センターで「家族志向のケア」ワークショップ開催

先日東京北医療センターにて「家族志向のケア」についてのワークショップを行う機会をいただきました。

3時間という時間をいただいたので、少し深掘りしたレクチャーやグループワークやロールプレイも交え、実践的な学びが得られることを意識しました。

長丁場にも関わらず、途中や最期にもたくさんの質問をいただき、皆様の関心やモチベーションの高さを感じ、私にとっても充実した時間でした。

準備するにあたり、今回は専攻医の皆様が多いと伺い、なぜ自分が「家族」に注目するようになったか個人的体験を振り返ってみました。

それは専攻医2年目のときに出会った10代後半のひきこもりの患者さんの診療経験です。本人は受診されず、お母さんのみが相談に来られていました。1年ほど相談を続けていましたが、結局は受診が途切れました。

それに対し何もできず、様々なライフサイクルや患者さんを扱う家庭医として自信を喪失したのを今でも覚えています。そこで家族療法を知り、勉強するようになりました。

家族療法の勉強は目から鱗が落ちる内容ばかりで、臨床家として価値観が大きく転換させられました。勉強する中で、先ほどの事例も本人を「問題」にし、お母さんを「悪者」にし、医者が「変える」ことにばかり固執していたのではと大変反省させられました。

その後学びを深め、私もまだまだ勉強の途中ですが、プライマリ・ケアの現場の皆様に家族臨床の楽しさを少しでも感じていただけたらと思いますし、これからもライフワークとしてコツコツと伝え続けていきたいです。

貴重な機会をくださった東京北医療センター岡田悟先生ありがとうございました!

保険をきっかけに「もしもの時のこと」を考えた話

次女が生まれたので保険の見直しを行いました。

保険を考えることで、どのような人生をこれから送りたいか夫婦で話すきっかけになりましたし、何よりも良かったのは担当の方に「どのような思いでいるのか家族に手紙を書いておくと良い」と提案いただいたことです。

早速各々に手紙を書いてみましたが、もしもの時を考えるとことで普段家族に対してどのように思っているのか、何を残していきたいのかを考えるきっかけとなり、いつの間にか今元気なうちに自分にできることは何だろうと考えておりました。

私自身の年齢を考えると、何か起こる可能性はまだ少なく、考えても結局漠然としてはしまいますが、それでも今のうちからもしものことを考えることは単なる準備という側面だけでなく、人生の優先順位を考え、方向を選択する上で非常に大きな意義を持つと思いました。

医療者も人生のターニングポイントに関わることが多く、状況をみながらもしものことを話すように促す役割を担うことはよくあります。

今までは「もしもの時のために準備しましょう」という消極的な側面から伝えることが多かったですが、「もしもの時を考えることは人生を選択する大切な機会」という積極的な側面からもお伝えできるようになればいいなと思いました。

ジョイニングからオープン・ダイアローグまでを再認識する旅 〜日本家族療法学会第39回淡路島大会への参加日記〜

9月16-18日開催の日本家族療法学会第39回淡路島大会に参加しました。

久しぶりの現地開催。対面ならではの臨場感あふれるワークショップや様々な方との交流ができた充実した期間でした。

今回は私と同じ家庭医の背景を持つ医師が6名参加し、何名か登壇して発表していました。数年前は1人で細々と参加していたことを思うととても感慨深いです。

5年ほど前くらいから家族療法学会には所属しながら勉強を重ねており、そこで扱われる言語はある程度理解できていたつもりでしたが、まだまだ浅い理解で深い理解に至っていなかったことを痛感しました。

参加した主なシンポジウム・ワークショップは以下の通りです。

・各国でどのような家族療法のトレーニングを行なっているのか?
・私にとっての家族療法とは?
・一般診療における家族支援
・様々な臨床現場におけるダイアローグ実践
・家族面接が上手くなる〜初回面接を中心に〜

ジョイニングからオープンダイアローグまで雑多ではありますが、いくつか気が付いた点などをまとめてみました。

 

■ジョイニングに対する誤解と再認識

ジョイニングの本質は本人や家族と日常の会話から始めたり、相手へ共感や賞賛をしながら良い雰囲気を作ることだと思っていましたが、違った。トラッキングは家族のコミュニケーションパターンを受容しついていくことであり、誰の次には誰が話すことを受け入れるだけでなく、誰が話すと誰が遮ることまで含めて受容しついていくことがトラッキング。さらにそこに積極的に合わせる(ex. 口火を切ろうとする家族に話しを前もってふる)ことがアコモデーション

 

■コミュニケーション・パターン分析の誤解と再認識

コミュニケーションのパターン分析において、会話の内容に対する評価(攻撃している、支持している)をしていくと思っていたが、評価は逆にパターン分析においては本質を見失いがち。誰の次に誰が話し、そうすると誰かが遮るといったような反応パターンを見ていくことがコミュニケーション・パターン分析であり、それを誤解していた。

 

■支援者の対話は演技的な方が話しやすい

カウンセリングの際にわざとらしいほど共感したり、驚いてみせたりする。支援者の中にはそこまでできない、そもそも必要なのと言われる方も。でも、そもそも相談に来るということはそれほど困っていたり、そのことについて話せない(話し慣れていない)ので、こちらが演技的なほど話しやすい。オープンダイアローグでも演技性は重視している。

 

■完璧すぎるコミュニケーションからは対話は生まれづらい

完璧すぎるコミュニケーションは隙のなさから相手に萎縮と警戒心を与えてしまいがち。不完全かつ程よく抜けていた方が安心感と補おうという主体性を得るきっかけとなり、それが対話である。それは診療だけじゃなくて職場でこそ大事な考え方かもしれない。

 

■診療場面という場こそ対話がもたらす効果は大きい

診察場面である種の正義感から医療者は患者にアドバイスのみをしがちだが、それが患者の反感を買い逆効果となることは多々ある。そもそも診察の場には医療者と患者の間で力の勾配があり、患者は居心地の悪さを感じている。診察でこそ対話は意外性をもたらし、大きな安心感とそれ以上の効果をもたらす。オープンダイアローグでは「結果をもたらすはずの場」という縛りの中で対話をするからこそ、結果的に対話に治療的効果が付随される。

 

■スーパービジョンについて

家族療法学会で各国間の研修プログラムの比較について聞いたが、どのプログラムも共通するのは知識を学んだ後はライブスーパービジョンを受けること。スーバービジョンも事後ではなくインターセッション、セッション中の随時介入、リフレクティブ・チームなど。日本のプライマリ・ケアの現場でもライブでスーパービジョンを受けることが必要か。

 

■家族療法の本質の変遷

家族も含めて人の関係性を見てそれを変えていくのが家族療法の本質で、まずは家族に入り込んで家族の関係を変えていくことが家族療法。過去においては家族の関係を変えることを目的としていたが、今は自身とクライエントや家族の関係が変わることで他が変わる、さらには支援者自身の捉え方やコミュニケーションを変えることで関係を変えようとするのが現代の家族療法。

 

改めて家庭医療学と家族療法は同じシステム理論を基本理論の一つとするため共通点は多く、家族療法の日本のプライマリ・ケア領域への「翻訳」を頑張っていきたいと思いました。今週からまた頑張ります。

医療化に対する考察 〜日本家族社会学学会に参加して〜

先日、日本家族社会学会の学術大会に参加しました。医療の周辺領域ではどのような話題があり、どのように議論がされているのか知りたくて越境を。
たくさんの学びがありましたが、特に興味深かったのは「医療化」という言葉です。社会学では、これまで医療の対象ではなかった身の回りの問題が、医学や治療の研究対象となることを医療化と呼んでいます。
例えば「落ち着きない子ども」や「子どもの成績不振」は以前は医療の対象とされていなかったですが、現在では「多動症」や「学習障害」とされ、治療対象と捉えられるようになりました。
 医療化されることは、本当に支援や治療が必要な人にアプローチしやすくなったり、病気とわかることで自分や他者からの非難の対象になりにくくなるというメリットもありますが、逆に自分も病気なのではという不安になる人がいる可能性や病気とされることによる偏見や差別、さらには病気とされることによって思考停止に陥り、解決を医療者任せになってしまうというデメリットも指摘されています。
特に精神疾患の領域で問題となり、実際に過去には病気とされていたものが人々の社会運動により、医療の対象外とされたものもあります。社会学では医療化がもたらす社会への影響を議論していましたが、そうゆう私たち医療者は患者さんに診断や病名をつける、いわば「個人の日常の医療化」をしています。
果たして診断が患者さんや家族にどのような影響を与えているでしょうか。病名をつけるメリットは、有効な治療や支援へとアプローチしやすくなるし、病気とわかることで自責感や他者からの非難の対象になりにくくなり、それは冷静に現状を捉えやすくもなります。
一方、病名がつくことで、その人が不安になっていないか、社会から不利益を被っていないか配慮が必要です。また、医療者が病名をつけることで過剰な医療を提供をしていないか、画一的なレッテルも内実は様々なのにその個別性の理解の思考停止に陥っていないか考える必要があると思いました。
医療者が相手を患者にしていないか、また患者になることでどのような影響を与えているのか、そこまで考えを馳せることができる医療者になりたいと改めて思いました。
そもそも医療化の対象や病気であることへの認識が変わると良いのかもしれません。もちろん病気によって異なりますが、医療だけがその問題を解決するための手段でないことも多いですし、病気は治療や支援の上での便宜上のレッテルでありその人の全てを表すわけではありません。それくらいに医療化を捉えられると良いのかもしれませんね。
※先日夏休みで熱海まで行きました。歴史を学ぼうと熱海城にも行きましたが、結局さいごまで城主がわからず。終わった後にその理由を知りました。笑