家庭医の学習帳

千葉県のクリニックで子どもからご高齢の方を日々診療。心療内科・家族支援にも力を入れています。日々考えたことや勉強したことを綴ります。

医療化に対する考察 〜日本家族社会学学会に参加して〜

先日、日本家族社会学会の学術大会に参加しました。医療の周辺領域ではどのような話題があり、どのように議論がされているのか知りたくて越境を。
たくさんの学びがありましたが、特に興味深かったのは「医療化」という言葉です。社会学では、これまで医療の対象ではなかった身の回りの問題が、医学や治療の研究対象となることを医療化と呼んでいます。
例えば「落ち着きない子ども」や「子どもの成績不振」は以前は医療の対象とされていなかったですが、現在では「多動症」や「学習障害」とされ、治療対象と捉えられるようになりました。
 医療化されることは、本当に支援や治療が必要な人にアプローチしやすくなったり、病気とわかることで自分や他者からの非難の対象になりにくくなるというメリットもありますが、逆に自分も病気なのではという不安になる人がいる可能性や病気とされることによる偏見や差別、さらには病気とされることによって思考停止に陥り、解決を医療者任せになってしまうというデメリットも指摘されています。
特に精神疾患の領域で問題となり、実際に過去には病気とされていたものが人々の社会運動により、医療の対象外とされたものもあります。社会学では医療化がもたらす社会への影響を議論していましたが、そうゆう私たち医療者は患者さんに診断や病名をつける、いわば「個人の日常の医療化」をしています。
果たして診断が患者さんや家族にどのような影響を与えているでしょうか。病名をつけるメリットは、有効な治療や支援へとアプローチしやすくなるし、病気とわかることで自責感や他者からの非難の対象になりにくくなり、それは冷静に現状を捉えやすくもなります。
一方、病名がつくことで、その人が不安になっていないか、社会から不利益を被っていないか配慮が必要です。また、医療者が病名をつけることで過剰な医療を提供をしていないか、画一的なレッテルも内実は様々なのにその個別性の理解の思考停止に陥っていないか考える必要があると思いました。
医療者が相手を患者にしていないか、また患者になることでどのような影響を与えているのか、そこまで考えを馳せることができる医療者になりたいと改めて思いました。
そもそも医療化の対象や病気であることへの認識が変わると良いのかもしれません。もちろん病気によって異なりますが、医療だけがその問題を解決するための手段でないことも多いですし、病気は治療や支援の上での便宜上のレッテルでありその人の全てを表すわけではありません。それくらいに医療化を捉えられると良いのかもしれませんね。
※先日夏休みで熱海まで行きました。歴史を学ぼうと熱海城にも行きましたが、結局さいごまで城主がわからず。終わった後にその理由を知りました。笑