悲嘆(グリーフ)に陥ったご遺族の方から、
このような言葉が胸に突き刺さると聞きます。
「○ヶ月(年)も過ぎたんだから元気出してね。」
「お子さんもいるんだし、あなたが頑張らないとね。」
「泣いてばかりいると、亡くなった○○も悲しいよ。」
「そんなことより、息抜きに一緒に外に出ない?」
この言葉をきっかけに、
心を閉ざしてしまい、何も話したくなくなると。
慇懃に感謝の言葉を返すかもしれませんが、
それ以上その話題に触れることはもうないでしょう。
しかし、声をかけた方は善意で伝えています。
何か言葉をかけないと、何かアドバイスをしないとと思って、
紡ぎ出した言葉であったでしょう。
「善意」に対する遺族の方の予想外の反応に戸惑います。
では、当事者と周囲の人の「差」はなんでしょう。
遺族の方はその「善意」の裏を見ています。
善意の裏には、「同情」があります。
「かわいそう」と見て「何かをしてあげよう」という姿勢は、
それが善意であっても、「上から下」への視線です。
グリーフに陥った人はその力関係を本能的に感じます。
では、そうならないためにはどうしたら良いでしょうか。
まず悲嘆(グリーフ)の捉え方を変える必要があります。
悲嘆(グリーフ)は「異常」な状態、「病的」な状態、
「立ち直るべき」もの、「治るべき」ものではありません。
遺族が悲嘆(グリーフ)に陥り、
嘆き・悲しみ・不安・自責・無気力・パニック・情緒不安定…といった状態を来たすのは極めて「人として」自然なことでありあたりまえのことです。
遺族の側に居る者にとって必要なことは、
遺族の悲しみをただ取り除いて早く楽になってもらえばいいという発想ではなく、
遺族が悲しみを自分の人生の一部として受け入れ歩んでいくのを、
しばしの間でも傍でご一緒するという想いが大切だと思います。
「涙」を「涙のまま」受け止め、
「悲しみ」を「悲しみのまま」受け止め、
「遺族の方」を「遺族の方そのまま」受け止める。
受け止めことで、弱さを経験している人と、
共に弱さを経験し、傷つきやすさを経験している人と、
共に傷つきやすさを経験し、無力さを経験している人と、
共に無力さを経験すること。
グリーフケアには「ありのままの状態」を受け止め、
共に浸ること(コンパッション)が大切です。