家庭医の学習帳

千葉県のクリニックで子どもからご高齢の方を日々診療。心療内科・家族支援にも力を入れています。日々考えたことや勉強したことを綴ります。

コロナ禍における「あいまいな喪失」

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かけがえのない人や物を失うことを喪失といいますが、時には明確でない何かをはっきりしないまま、解決や決着することもできないまま喪失していることがあり、それを「あいまいな喪失」といいます。日本には、11年前の東日本大震災をきっかけに紹介され、コロナ禍で再度一部で着目されています。

先日ちょうど理論を提唱したPauiline Boss博士と日本を代表するノンフィクション作家の柳田邦夫氏による「新型コロナウイルス感染症パンデミックにおける『あいまいな喪失』とレジリエンス」というシンポジウムがあり参加し、コロナ禍の影響を俯瞰的に考えさせられましたし、今の戦争が起っている中だからこそ大切な考えだと感じました。

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新型コロナウイルスパンデミックによって、私たちはウイルスへの恐怖や明確な喪失やのみならず、あいまいな喪失も体験しています。将来への希望や夢や計画の喪失、好きに外出する自由、友人・知人に会う自由の喪失、学校に行けない子どもを家庭で教育するための親自身の時間や自由の喪失、確かだと感じていた自分や家族の安全や安心感の喪失、生活のコントロール感の喪失、出産・卒業・結婚など人生の大切な場面を一緒に祝えないこと、大切な人の入院や死期に巡りあえないことなど。

心療内科の診療の中では、コロナ禍で生活が大きく変わり、何かを具体的に失ったわけでもないのに、歯車がいつしかかみ合わなくなり知らぬ間に心のバランスを崩している方が今も多いと感じます。また、これからどうなるのかわからない不確実な中で生きていかなくてはならない悩みもそこに重なります。

まずは、悩みの正体が「あいまい」かつ「喪失体験」と自覚することで、対処しやすくなります。また、Poulline博士はレジリエンスを重視され、人とどんな方法でもコンタクトを取り続けること、小さなことでもコントロールできる物を見つけること、完璧主義やコントロールしたいという欲求を和らげることなどを推奨しています。

特に印象的だったのは「そもそも喪失に終結はなく、その必要もない」と捉えることです。失った悲しみは終わるという考えは悲しみは乗り越えるべき対象として認識され、できないことに自らを責め、周囲から病的なものと捉えられることもあります。

そうでなく、悲しみに終わりはないけれど、失われたものとの繋がりは時間をかけて徐々に別の意味を持ちはじめ、その間にも新たな関係や出来事・出会いが生じていることも事実です。

コロナ禍で様々なものが変化していく中、支援者としてあいまいな喪失の存在をしっかりと認識し、喪失とレジリエンスの両面を大切にしながら関わりたいと思いました。

最後に講演の中で紹介されていたホームページのリンクを貼ります。あいまいな喪失について非常にわかりやすく書いてありますので、詳しく知りたい方はぜひ覗いてみてください!