家庭医の学習帳

千葉県のクリニックで子どもからご高齢の方を日々診療。心療内科・家族支援にも力を入れています。日々考えたことや勉強したことを綴ります。

大きなショックのあとに起こること

大きなショックのあとその突然の大きな変化に戸惑い、悲しみや不安だけでなく、混乱または怒りなど心が不安定になります。それはどんなにしっかりとした方でもなる、ごく自然なことです。

また、状況や自分の気持ちに早く白黒つけたくなり、原因を一つに考えたくなったり、誰かや何かを攻めたくなるのもごく自然なことです。

でも、何かを失った時には、必ずしも白黒つけることが役に立たない時があり、無理に区切りをつけずそのままそっと置いておくことも大切です。

落ち着かない時、以下が役立つことがありますので、参考にしてみて下さい。

 

時間:失ったものを感じたり、理解するのには多くの時間が必要です。

休養:以前より休息が必要です。おいしい食事・昼寝・入浴・散歩などをすると良いでしょう。

雑談:自分の思いを理解してくれる人と話すのも良いでしょう。例え相手が自分と意見が異なっていても表現することで安心することがあります。

 

それでもしんどい時はこのような相談窓口もあるので、是非ご活用ください。

SNS・チャット相談:https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/soudan/sns/

電話相談:https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/soudan/tel/

活動報告 日本心身医学学会総会でポスター発表

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日本心身医学学会総会で「家庭医・総合診療医師のための心身医学的教育の開発と実践」というテーマで発表をしました。

昨年度の聖路加心療内科での診療経験をもとに同病院総合診療専攻医向けの教育プログラムを開発したので、その実践報告です。

もともと心療内科の先生が研修医向けにされていた教育内容に、AFPの行動科学・メンタルヘルスカリキュラムと自分の研修経験を加えてアレンジし、一つのプログラムにしてみました。

心療内科医と家庭医・総合診療医は非常に似通っていると個人的に思います。どちらも生物心理社会モデルを重視しますし、来院される患者層もとても近いと感じます。

ただ、心療内科では心理療法・心理テスト・心理士との協働をより体系立てて行っており、家庭医として学ぶことはとてもたくさんありました。それが一つの形になったようでとても嬉しいです。

心療内科の先生からもたくさん声をかけていただき、プライマリ・ケア領域への関心や家庭医・総合診療医との協働を強く意識されていることを感じました。

貴重な機会を下さった聖路加心療内科の先生方、ありがとうございました!プログラムを作る過程で色々と議論したのが何よりの学びでした。

地域のメンタルヘルスケアが重視される中、家庭医として専門医・心理系専門職とも協働しながら今後も取り組んでいけたらと思います。

月間仏事で対談記事を掲載いただきました

月間仏事で対談記事を掲載いただきました。

https://shop.kamakura-net.co.jp/smartphone/detail.html?id=000000000864

月間仏事は供養業界のビジネス誌勝浦市妙海寺住職の佐々木教道さんよりご縁をいただきました。

在宅医療者、グリーフケア、家庭医と色々な話に。お話しながら、最期が近づきつつある患者さんから人生で大切なことをたくさん教えていただいたことを思い出していました。

人は誰しも生きると同時に一歩ずつ死にも歩みをすすめ、最期には目に見えるものはほぼ全て失われていきます。しかし、その中で確実に残るものもあり、それが生きる上で大切なものだと個人的には思います。

記事の中で供養業界の方に一言とのことで、日常的に死に接しているからこそ人生で何が大切か考えるし、死が非日常的な現代社会だからこそ私たちに伝えられることがあるのではないかとお話ししました。

対談をとおして、供養業界よく知らなかったですし、散骨やコロナの業界への影響も知るれて、個人的にも大変学びの多い時間でした。

ハウスポートクラブの村田ますみさん、貴重な機会をありがとうございました!

活動報告 第13回JPCA学術大会シンポジウム・ポスター発表

JPCA学術大会では家族志向ケア関連のシンポジウムの座長とポスター発表を行いました。

 

●シンポジウム「家族志向ケアの教育について考える」

家族志向ケアの教育を先進的に行う研修機関の取り組みを様々な先生に発表いただきました。ロールプレイ、陪席指導、コンサルの方法、家庭医が家族を扱う上での注意点、selfawareness など各プログラム各様の種各様たくさんのコツを教えていただきました。

同時に会場からどう指導したら良いのか、何から教育したら良いのか分からないという質問も多く出ており、現場指導の大変さも知ることができました。

こちらは後日オンデマンド配信もありますので、ぜひご覧ください。

 

●ポスター「家庭医が家族志向ケアを学ぶためのオンラインコミュニティの活動報告と実践」

これまでのファミラボの活動を振り返る機会にもなりましたし、発表することで様々な先生からご意見をいただきました。オンライン指導のニーズの多さを感じるとともに、これからの活動のヒントも多く得ることができました。今後の活動につなげていきたいと思いますので、乞うご期待ください。

学会での発表を通して多くの反響もいただき、家族をみることは家庭医の醍醐味の一つであることを再確認する機関でもありました。

 

みなさんが自信を持って多様な家族と関わり、後進指導に当たれるようにこれからも啓発活動を続けたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします!

子ども2人になって感じる集団心理

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次女のお食い初めを行いました!次女を眺めながら、長女の時はどうだったかなーとあまり思い出せず。それだけ1人目の時も必死だったんだ、と思いました。

 

子どもが2人になって100日。1人だけの時とは違い、家族に集団心理がより強く働くのを感じます。

 

長女はイヤイヤ期真っ只中の中、次女は動かず(動けず)その場でじっと大人しくしているので、比較してしまいたくなります。長女は活発に遊びを求めてくるので、次女の相手はどうしても二の次になってしまいます。

 

何番目の兄弟姉妹かによって、典型的な環境と関係性があり、それに伴う性格もある(ex.  長子は責任感が強い)というのは、風説だけでなく家族心理学でも言われており、それを痛感します。

 

置かれた環境からしょうがないところもあると思いつつ、極力一対一で向き合えるように頑張りたいと思う日々です。より夫婦のチームワークが試されますし、日々試行錯誤です。

家族相談士の資格を取得

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家族相談士の資格を取得しました!

日本における家族支援の関連専門資格は大きく2つあり、そのうちの1つです。

昨年半年間、週半日を受講に当てつづけ、試験も範囲が膨大すぎて対策しようもなかったので中々に大変でした。

ただ非常に充実した期間で、家族心理学や家族療法・家族カウンセリングだけでなく、家族にまつわる社会問題や関連法案までを一気に学ぶことができました。

今まで点で学んでいたものが、線や面でつながった感じです。
思えば受講期間の半年は「家族とは何か」について考えた旅でもありました。
一番はじめの講座で「家族とは何か」のグループワークを行い、自分の常識が人にとっては理解し難たく、場合によっては支援の邪魔になることを身をもって知り、一度頭を柔らかくしてみようと思いました。

現代は家族の形態・機能が多様化し不確定となり、家族社会学・心理学では家族をほとんど定義していません。いかに考えられた定義でも、それは家族の一つに過ぎず、仮に今はそうでも、時代によって変化しうる可能性や地域によっては当てはまらないことも多いからです。

二転三転しながらも、今思うのは「家族とは何か?」以上に大切なことは「その人は何を家族と呼ぶのか?」であり「それは何故か?」です。それがその人の家族の定義であり、支援者としてその問いを忘れずにいたいです。

一方、定義が流動的なようで、人類最古の社会組織は家族ともいえ、人はそれ以上に濃密な関係を生み出してもいません。そう考えると家族には何かしらの普遍性もあるはずで、専門家(むしろ家庭人?)としても考察を深めていきたいです。家族相談士としての旅はこれからも続いていきます。

在宅医療における「意思決定支援」を考える ー意思とは何か?決めるもの?ー

・何かあったら病院まで搬送するのか、家でできる範囲で治療するのか
・食べれなくなったら点滴するのか、しないで自然に過ごすのか
・寝たきりになったら自宅で過ごすのか、病院や施設で過ごすのか
・心臓や呼吸が止まったら延命治療をするのか、しないのかなど

これら一つ一つは在宅医療を行う上で話し合う重要な内容ばかりであるが、患者や家族は意見を求められても戸惑うことも多い。これらは日常とはかけ離れた内容であり、その人の最期を決めうる大事な内容なので無理もない。

そのため、これらの決定支援を行うことも医療者の大事な支援であり、それを「意思決定支援」という。在宅医療に限らず医療では、事前にどうするかを決めておくことは患者や家族が満足した医療を受けるためにも重要となる。

しかし、実際の現場では医療者の責任・リスク回避の観点ばかり強調されているようであり、意思決定支援の名のもとに「治療しないと言いましたね?」と決定の責任を患者や家族にだけ押し付けているような場面も多くみられる。

こんな重要な内容を患者・家族にだけ責任を押し付けるのは酷なことであり、最近は『Shared dicision making』のような考え方も認知されるようになってきた。本記事で意思決定支援について考察していきたい。

 

意思はそもそも決めるもの?

「意思」と似た言葉に「意志」があり、両者の意味は全く異なるが、混同されていることから意思決定支援の誤解があると考える。

「意思」は「そうしたいと思う気持ちや考え」であり、「意志」は「特定の対象に向かう意欲」である。

意思決定支援では前者が使われ、つまり「本人の思いや考えの尊重」が本来の役割であり、「どう考え、どう思うのか?」と問うことが重要である。しかし、現場では「意志の確認」とも思える「どうしたいか?」と迫ることは少なくない。

では、意思が本人の考えや気持ちだとすると、そもそもそれは決定するものなのか。確かに、本人や家族が治療や療養に対しての考えを事前にしっかりと持っていると、医療者が関わる上で見通しが得られやすく安心する。

しかし、事前に決定をしたということで、いざとなった時に思考停止や責任回避の口実にする医療者も少なくない。

「自宅で最期を過ごしたい」と事前には話していても、いざ状態が悪くなると「不安なのでやはり入院させて欲しい」と話す患者・家族は少なくないが、それでも「以前は自宅で過ごしたいとおっしゃいましたよね?」と迫るのである。事前に決めておくことでの不利益も考える必要がある。

だからといって事前に意思を確認しないことが良い訳ではない。いつかはその選択が必要な時は来るし、元気のうちからもしもの時を話し合うことは、患者・家族の療養生活の充実や満足度を高めるためにも有用とされている。

しかし、それはあくまで患者が「その時点でどう考え、どう思うか」であり、それは事情や時間経過によって変化しうることが前提である。

そう考えると、意思は「決定するもの」ではなく、あくまでその時点での考えや思いを示しているに過ぎず、もしもの時が来た時に「参考にするもの」の一つくらいに考え、何度も話し合う必要があるのではないか。

意思が表現できないことなんてたくさんある

さらに、医療現場では患者や家族の意思がわからないことなんてたくさんあり「まあ、先生の良いようにやってください」と話される方も少なくない。

治療の方針や延命治療、最期どこで過ごすなんか尋ねられても、普段の日常生活をと乖離しているので、よくわからないというのも当然である。

また、意思決定の前提には、自身で情報を的確に理解し、自由意志で判断を下して、その判断の責任は自分一人で負うというリベラリズム自由主義)的発想が根底にあるが、前提の考え自体が日本の文化とは少し異なる。

「言わぬが花」「1を聞いて10を知る」「不言実行」の言葉が代表するように、日本では言葉より行動重視、話し手が表現するより聞き手が察することが美徳とされてきた。

その中で、医療者が「どうしたいか、教えてください」と迫ること自体がそもそも患者・家族にとって大きな負担となっている可能性を考える必要がある。

日本では、患者・家族の意思を確認するだけでなく、医療者が患者・家族の意思をある程度察して表現することが求められると考える。

意思は「決める」ではなく「決まる」

では、冒頭で述べたような重要な事項が現場ではどのように決まるのか。

在宅現場での意思決定過程を振り返ると、患者・家族と支援者がある程度のプロセスを共にすることで「決まっていくもの」のように思う。そのプロセスは対話もだが、検査・治療・介護などの経験のプロセスの時もある。

例えば、本人が人に気兼ねなく自由に過ごしたいため「自宅で最期まで過ごしたい」と話される一方、家族が自宅療養で困難さを感じ「最期は病院や施設で過ごしてほしい」と考えが一致しない状況があるとする。

そうであったとしても、本人・家族が自宅療養の経験を積むことで、家族が介護に自信をつけて自宅で最期まで過せそうと決まっていくこともあれば、やはり大変なので施設にそのうち入所しようと決まっていくことがある。

また支援者も一緒に関わる中で、自宅療養が現実的かどうかも大体分かってくるので、もしもの時には家族・支援者の中でどうするか概ね決まっていくのである。

意思決定は誰かが決めるという結論(プロダクト)より、患者・家族・医療者・支援者が対話や経験の共有といった協働のプロセスが重要で、決まっていく出来事として捉える方が良いのではないか。

それで決まった内容は患者・家族と医療者のどちらに責任があるものでなく、どちらも責任を負うのである。つまり、共有されるのは対話や経験といった情報のみならず、責任も共有される。その考え方を「Shared Dicision  Making」という。

「意思決定支援」から「欲望形成支援」に

最後に哲学者の国分功一郎氏の言葉を紹介したい。彼は「意思決定支援」ではなく「欲望形成支援」と呼ぶことを提案している。

僕はむしろ「欲望形成の支援」という言い方をしたらどうだろうか、欲望形成を支援するような実践を考えたらどうだろうか、と思っています。「意思」というこのとても冷たく響く言葉は切断を名指ししていますから瞬間的です。それに対して「欲望」は過程であり、また、人の心の中で働いている力であるという意味で、どこか”熱い”過程です。

欲望を意識するのはとても難しいことです。自分のことだからこそわからない。だから周囲に手助けしてもらったり、一緒に考えたり、話し合ったりしながら、自分の欲望に気付いていく必要がある。それを支援するというならとてもいいと思うんです。

            ー 国分功一郎 精神看護 2019年1月号  ー

「決定支援」と言いながらも、大切にしたいのは結論(プロダクト)よりもプロセスであるし、支援したいものは「どう生きたいか」の前向きなものであると考えると意思ではなく欲望というのは本質をついている。

意思決定支援について様々に考察したが、個人的には今後も患者さんとの対話や経験の共有を楽しみながら、その揺らぎに許容できる懐を持って診療に携わりたい。