家庭医の学習帳

千葉県のクリニックで子どもからご高齢の方を日々診療。心療内科・家族支援にも力を入れています。日々考えたことや勉強したことを綴ります。

システム論で考える不登校支援 原因編

man and woman sitting on chairs
 

はじめに

 
不登校になるなんて、きっときっかけがあるはず」
 
不登校となったお子さんや生徒を前にしたとき、こう考える保護者や支援者の方は多いと思います。
 
しかし、“犯人探し”は往々にしてうまくいかないことが多いです。
 
本人の性格、生育環境、愛情不足、両親との関係などが不登校の原因として主に挙げられます。
 
原因があれば、それを解決したくなりますが、“原因を見つけ解決する”ことで本当に不登校は解決するでしょうか。
 
不登校の子どもたちに関わった皆様は、きっとそれだけでうまくいかないことを経験されていると思います。
 
それは、因果論では説明できない原因が不登校にあるからです。
 
今回は、不登校の原因を “システム論” の視点から考えていきます。
 

不登校とは

 
不登校は病名や診断ではなく、文部科学省が定義づけた「子どもの状態像」の一つです。
その定義基準は厚生労働省は、
 
何かしらの心理的、情緒的要因、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるため年間30日以上の欠席した者のうち、病気や経済的な理由によるものを除いたもの
 
としています。
 
man staring at white sky taken at daytime
 

一般的に考える不登校の原因

 
不登校の原因は大きく3つに分けられます。
 
精神疾患から登校ができなくなる場合
 
精神疾患が原因となって行けなくなった場合です。統合失調症強迫性障害パニック障害(うち対人恐怖症・広場恐怖症が主に)などがあります。ちなみにうつ病のみによるひきこもり状態は稀であると言われています。
 
一般的に、うつ病は真面目で責任感が強い方がなる事が多いため、それ単独では不登校やひきこもりになることは少ないです。適切な診断や、治療、場合によっては投薬も考慮されるため、通院が必要となる事が多いです。
 
気がつくポイントとしては、対人恐怖、被害妄想、強迫症状、不眠と昼夜逆転抑うつ気分があります。また、希死念慮、自殺企図がある場合は緊急性を要します。
 
人格障害発達障害から登校ができなくなる場合
 
人格障害発達障害が存在し、学校生活への適応が困難で、行けなくなった場合です。
 
その場合はその特性に応じた特別な配慮が必要になります。投薬は必ずしも必要ない事もありますが、個人の特性理解やその特性に対する支援のために通院が必要となる事があります。
 
③明確な診断がないが登校ができなくなる場合
 
①や②に当てはまらないけれど不登校になる生徒がいます。
社会一般的に言われる狭義の不登校はこれであり、すべての生徒・児童がなる可能性があります。
 
原因に関しては色々な説があります。本人の性格、トラウマや虐待などといった生育環境、愛情不足や逆に固執した親の育て方といったところでしょうか。
 
しかし、どのような家庭で育っても、どのような生活に生まれついたとしても、不登校は起こりうります。「きっかけがよくわからない」ケースが多いです。逆に、実際には多様な要因が複雑に絡み合っているようにみえるケースが多いです。
 
さらに、単一の原因を探すことは、その人自身を追い詰めかねません例えば本人の性格とした場合は本人を追い詰めますし、生育環境や親の育て方に原因を求めた場合は家族を責めかねないです。
 
このように③の場合に、“犯人探し”の限界にぶつかり、保護者や支援者も困ってしまうことが多いです。
 

「システム論」で考える不登校の原因

不登校の原因が分からなければ解決する事ができません。
そこで「システム」として不登校の原因を考えたいと思います。
これは「ひきこもり」救出マニュアルの中で斎藤環氏が述べていることをそのまま述べています。
 
健常なシステムでは、下図のように示されます。円はそれぞれ“個人システム” “家族システム” “社会システム” であり、境界の接点において、システムは交わります。3つのシステムは相互に接し合って連動しており、なおかつ、自らの境界も保たれています。
 
 
 

 
不登校のシステムでは、個人システム” “家族システム” “社会システム” という3つのシステムが  “接点を失い、それによる悪循環”  が起こっていると考えます。図のように、システムは相互に交わらずに連動することもありません。システム間相互に力は働きますが、力を加えられたシステムの内部で、力はストレスに変換されてしまい、ストレスは悪循環を助長します。
 

抽象的なためにそれぞれのシステムが接点を失い、連動しない状態を具体例を提示します。
 
まず“個人システム” についてみてみます。何らかの強い葛藤によって、いったん不登校になると、その事が “心の傷” となって自己嫌悪を深め、さらに行けなくなってしまいます。
 
通常であれば、家族や他人との関わりでこの悪循環にストップをかけますが、不登校の場合、“他人からの介入”を嫌い、自らの殻に閉じこもることが多く、一層抜け出せなくなります。
 
次に “家族システム” についてですが、本人が不登校になり、長期化すると家族の中に不安や焦燥感が高まります。
 
不安を抱えた家族は、本人に対して説教や叱咤激励を行い、何とか本人を動かそうとします。しかし、これらは本人にとってプレッシャーやストレスになるだけで、刺激を受けることによって、一層学校に行くことが難しくなります。
 
家族はさらなる不安や焦燥にかられ、不毛と知りつつも刺激を繰り返すことが多いです。
 
最後に“社会システム” についてはどうでしょうか。本人以外の家族は、学校に行っていたり、働いていたりするので、少なくとも 家族システム” と “社会システム” の接点があるのではないかと思うかもしれません。
 
しかし、表向きはきちんと社会生活を営んでいる家族でも、世間体を気にして隠そうとしたり、誰にも相談せずに内々に解決してしまおうとする“抱え込み状態”になると社会との接点が失われます。
 
世間からのプレッシャーに対して家族が孤立し、それゆえに治療や相談の機会が失われてしまうことで、 “抱え込み” が一層強化されていきます。
 
man standing on road
 

さいごに

 
不登校の原因について "システム論" で原因を考えてみましたが、いかがだったでしょうか。
 
システム論で捉える利点はいくつかありますが、一番は原因の "犯人探し" にならないことです。
 
それはすでに、当事者や家族はなんとか解決しようともがいていることが多いです。
その上で、原因探しをされるのはとても辛いことですよね。
 
むしろ問題は、前述のように、解決しようとしていますが、その解決の力がストレスに変換されてしまい、ストレスは悪循環を助長され、不登校が維持されていることです。
 
システム理論で考えると以下の言葉がしっくりきます。
 
"問題が問題なのではない。問題解決が問題なのだ。
 
問題の捉え方を定義したところで、続いて、”支援編”を述べていきたいと思います。
 
参考文献

斎藤環「ひきこもり救出マニュアル<理論編>」PHP研究所

斎藤環「ひきこもり救出マニュアル<実践編>」PHP研究所

 

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