“老いによってあらゆる面が衰退することで、人生を振り返ろうと思うようになる。
死に近づくことで、後世に何を遺すか真剣に考えることができる。”
とある患者さんと外来で話した時に、腑に落ちた言葉です。
その方はもともと私の外来に来られていましたが、
最近実親・親戚を立て続けに亡くされたことで、
老いや死に直面し、恐怖を感じていました。
「老いや死にどう向き合うのが良いか」
と患者さんが外来でこぼされ、
この哲学的なテーマに外来で2人話していました。
その患者さんは教育学を学ばれた方であり、
2人で「エリクソンのライフサイクル論」の話になり、盛り上がりました。
エリクソンは人のライフサイクルを、
8つの発達段階(のちに9段階)に分けています。
老年期はその8段階目に当たります。
老年期は自分の人生に意味を見出し、
やがて来る死を受容していく「統合」 と、
自分の人生が本来の自分ではなかったということに気づき、
人生を取り戻すには遅すぎるという感情に襲われる「絶望」との葛藤があり、
それを克服したものには「英知」が得られるとしています。
そして「英知」を得る際に大切なこととして、
失敗した出来事や失望などのネガティブな現実でさえも、
自分自身の大切な人生を作り上げるものとして受容することが大切であると。
エリクソンはさらに「英知」をこのように述べます。
“「英知」とはすなわち死に直面しても人生そのものに対して「執着の無い関心」を持つことである。”
“「英知」の備わった人間は心身の衰えに拘わらず、自己の経験の統合を保ち続け、後から来る世代の欲求に応えてこれを伝える。”
「老い」は人生の中で必然的にプログラムされています。
もし、老いの弱りゆく過程にマイナスな意味しかないのならば、
ピンピンコロリと元気に亡くなる方が良いと思ってしまいますが、
人生はそうはいきません。
老い・死にゆく過程が必然であれば、
そこには必ず意味があるはずです。
そうこう話しているうちに、患者さんと2人で話して冒頭の言葉に至りました。
これからも「老い」の意味を探求していきたいです。